2007年10月09日

横須賀の大津の史跡巡り

大津 全国各地に「大津」という地名があるけど、今回は横須賀市の大津。
めずらしく色々な史跡を巡ってみました。
新しく買ったデジカメの練習に行ってみたって感じかな。
玄関口は京急の大津駅か、新大津駅。

三浦半島の歴史:横須賀市大津町史跡巡り・観光名所案内

「大津」っていう地名は、全国各地に実に多いです。
有名なのはやっぱり「大津市」かな。
大津市が何県にあるのか、あんまり良く知らないんだけど(^^ゞ

「大」は当然のことながら、「大きい」を意味します。
「津」は「港」、または「砂浜」を意味することが多い地名です。
港といっても、横浜港みたいなコンクリートの堤防に囲まれた港じゃなくて、船着き場を想像してください。
今は埋め立てられて新しい街ができ砂浜も船着き場もありませんが、昔は遠浅の砂浜が続いていました。
そう考えると、「津」は砂浜を意味するのかな?

新大津駅
今回は京急の新大津駅に降り立った。
買い物の用事もあったので、ついでに史跡巡りをしようってことで。
残念ながら工事中でした、なぜか僕の行くところ工事中が多い。
古い駅舎の写真を撮影したかっただけに、残念もひとしお・・・
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・京急新大津駅

風神地蔵
新大津駅から坂道を下っていくと、風神地蔵尊を発見!
風邪をひいた時にお参りをすると、たちまちのうちに治るとか、治らないとか・・・
周辺に横穴がたくさんあったけど、太平洋戦争中に作られた防空壕でしょうか?
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・風神地蔵尊

諏訪神社
諏訪神社を発見、地図で見るよりも大きな印象の神社でした。
何よりも僕の興味を引いたのは、この神社にある狛犬でした。
親子の狛犬なんだけど、なんかめちゃカワイイのだぁ〜♪
親子愛を感じた。
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・諏訪神社

信誠寺
諏訪神社のすぐ隣にあるのが、信誠寺です。
お寺の名前が、どことなく新撰組を連想させますが、新撰組とは無縁のお寺です。
初代三浦郡長の小川茂周のお墓や、川越藩士のお墓があるらしい。
でも、川越藩士のお墓がどれなのか、わかりませんでした。
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・信誠寺

信楽寺
意外と知られていないのですが、坂本龍馬の奥さんとされるお龍さんのお墓があります。
寺田屋でお風呂に入っていたら襲撃に気が付いて、全裸で坂本龍馬に知らせに行ったなんていうエピソードがあります。
流浪の生活をした後、横須賀に住むようになったそうです。
毎日のようにお酒を飲んで、アルコール依存症だったとか・・・
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・信楽寺

京急大津駅
京急大津駅には、あまり目立ちませんが小さな稲荷神社が併設されています。
大津駅ができる前からあったのかな?
スダジイの大きさを考えると、駅ができる前からあったんじゃないかなーと思います。
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・京急大津駅

砂坂地蔵尊
大津エリアにはお地蔵さんが多いなーなんて印象を受けました。
別名をイボ取り地蔵とも呼ぶそうです。
イボ痔が治りますようにと、熱心にお参りをしておきました。
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・砂坂地蔵尊

食事
大津町のお食事処は、とりあえず1軒だけね。
良かったら立ち寄ってみてください。
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・お食事処

水道管
大津町で工事中に発見された水道管です。
走水から、横須賀製鉄所に水を送るための水道管だったそうです。
三浦半島の歴史:横須賀市大津町・水道管


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posted by ちーず。 at 13:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 三浦半島観光地図
この記事へのコメント
私の父は明治生まれ、母は大正生まれで大津周辺で生まれ育ちましたので色々聞いてます。
諏訪神社境内でよく遊んでいたので当時の神主さんは良く知っていました。諏訪神社は相撲と関係が深く、夏祭りには奉納相撲がありました。大鵬がまだちょんまげが結えないときにも来ましたが、とてもハンサムということでおばさんたちに大変人気がありました。
そんなこともあり横須賀は今も相撲とは関係が深く、白鵬の横綱昇進披露は横須賀でやりました。
大津駅の稲荷は京急ができたとき(もともとは湘南電車と言ったという)駅の建設のため稲荷を適当に動かし、そのままほっといたところ、駅長が次々に災難に会い、気味悪がってしばらく駅長になり手がなかったと聞いています。
その後立派な稲荷を建立し、今でも京急が手厚く祭っています。

信誠寺は銀杏幼稚園を経営しています。私の小学校の同窓生が園長をしています。

私が通った大津幼稚園の入り口は信楽寺の階段の左側にありました。
当時はあんなに立派な龍子の墓はありませんでした。
Posted by IVYリーガーズ at 2007年10月09日 18:43
コメントありがとうございます!!
しかもとても貴重な情報を。
横須賀市の刊行物などを購入して資料を集めていますが、生の声というのを聞く機会というのがなくて・・・

諏訪神社って、そこまで相撲と関わりが深かったなんて知りませんでしたよ。
資料に相撲との関わりが深いとは書いてありましたが、そこまで詳しくは書いてありませんでした。
大津駅の稲荷の話、そんなことがあったんですねー。
昔の龍子のお墓もどんなものだったのか気になります。

もし良かったら、この書き込みの情報をページに掲載してもよろしいですか?
Posted by ちーず。 at 2007年10月10日 15:05
両親からの話しの記憶と私の記憶で書きましたので精度はどこまであるか分かりませんが、それで良かったらどうぞ掲載してください。

私の小さい時にはすでに海岸の道路がありました。その後に馬堀海岸が埋め立てられ現在の海岸道路ができました。
私の母の時代では三春町あたりでは砂坂といわれる現在では海から3つ目の道路が一番海岸に近い道路で、小泉さんのおじいさんである又二郎さんも三春町に住んでいました。

海軍工廠から若い水兵が重装備で大津の練兵場まで走っていき、そこで銃砲の練習をしていたそうです。
精神論オンリーの時代ですので、真夏でも水一滴も飲ませず行軍させたそうです。
子供だった母ですが、見かねて裏の井戸に案内して水を飲ませたとの事。
母の実家は今で言うマラソンの給水場になっていたようです。
Posted by ふ み お at 2007年10月10日 17:48
ありがとうございます、ぜひ掲載させてください(^^)
貴重な情報、ありがとうございます!

海から3本目の道路っていうと、ずーっと長く続いている道路が旧道にあたるわけですね。
そういえばあの道路沿いには、神社やお寺、お地蔵さまなどを多く見かけたような気がします。
小泉純一郎さんの自宅前には、警備の人がいましたよね。
総理をやめてからいなくなっちゃったけど、警備の人が立ってた方が目立ちますよね(^^ゞ
Posted by ちーず。 at 2007年10月12日 13:31

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