
今をときめくグラビアアイドル、朝倉能登守さんです。
グラビア界の戦国武将と呼ばれています。
って、きっと誰も知らないよな・・・
【三浦半島の歴史:人物事典・朝倉能登守】

通称は朝倉能登守なんですが、名ははっきりとしていません。
朝倉景隆、朝倉景澄、朝倉重信あたりではないかと推測されています。
朝倉といっても、小田原北条氏の家臣なんですよ。
織田信長と戦ってた朝倉家ではないのです。
三浦半島では戦国時代あたりの史跡はめずらしいのでは?
支配される側だったので、あまり何も残ってないんですよね。

三浦半島との関わりでは、追浜あたりに屋敷を構えていました。
かなり大きな屋敷だったみたいですよ。
実際に見たことないのでわかりませんが・・・
鷹取公園と、その一帯が陣屋だったみたいです。
【三浦半島の歴史:横須賀市追浜南町・鷹取公園】

朝倉能登守の奥さんのお墓は、追浜の良心寺にあります。
なかなか立派な宝篋印塔です。
ですが、朝倉能登守のお墓はないのです。
実はどこで亡くなったのか、お墓はどこなのか、わかっていないんです。
【三浦半島の歴史:横須賀市追浜南町・良心寺】

三浦半島以外にも、伊豆と千葉に所領を持っていました。
千葉は、富津の天羽群佐貫城だとか・・・
どこなのか、良くわかんないんだけど(^^ゞ
小田原北条氏は関東一円を支配していたので、所領もたくさんあったのかな?
【三浦半島の歴史:千葉県君津市金谷史跡巡り・観光名所案内】

追浜にある雷神社は、朝倉能登守が移転させたらしいです。
火事だか、雷だかで、焼け落ちちゃったんじゃなかったかな。
それを、今の場所に移して再建しました。
あっぱれである!
【三浦半島の歴史:横須賀市追浜本町・雷神社】

朝倉能登守は、その生涯のほとんどを戦場で過ごしたというような感じの人物です。
戦に明け暮れ、馬術や弓術に非常に優れていたといわれています。
晩年は結城秀康の家臣となりましたが、もしかしたら冷遇されていたのかもしれません。
「朝倉犬也入道」とあるので、普通ではちょっと考えられない名前ですよね・・・
【身近な生き物図鑑:ウマ】
